Audism(聴力至上主義)とは?

Audismとは 聴覚障害

Audism(オーディズム)という言葉を知っていますか?

私がカナダに来て初めて知った言葉のひとつです。今まで難聴として生きてきて、なんとなく抱いていた違和感の原因がこれだと気づきました。

概念そのものは日本にもありますが、「Audism」という単語について日本語の情報が少なかったのでまとめてみました。

※ autism (自閉症) ではなく、audism ですよ

Audism とは

Audism は、「Audio」(音声・聴力)と「ism」(主義)からくる言葉で、直訳すると、聴力至上主義聴能主義聴覚障害差別とも訳されます。

わかりやすく言うと、「聞こえないこと」「話せないこと」に対する偏見や差別、抑圧のことを指します。

Audism の例

ろう・難聴者あるあるの例はほとんどが audism に当てはまります。

例えば、

  • 会話の途中で聞き返すと「やっぱいいわ」
  • グループの会話についていけないとき「後で話すね」
  • 「聞こえないのに発音良いね」
  • 「聞こえないのに頑張ってるね」
  • 「聞こえないから運転は危ないんじゃない?」
  • 手話を否定する
  • 日本語が苦手なろう者に対して無教養と決めつける
  • 教育や雇用での差別

・・・挙げたらきりがありません。えっこれが?と思うようなものもあります。

ほとんどが悪意からくるものではなく、無意識、または無知からくるもの。むしろ親切心だと思っている人も多いでしょう。

これらは全て、「聞こえない」ことを下に見ているからこそ出る言動なんですよね。

日本では、手話を言語として認める自治体が増えてきましが、それでも社会の中で audism 思考が根強く残っていると感じる場面が多々あります。

Linguicism (言語差別) とは

言語差別 (Linguicism) とは、文字通り、言語に対する偏見や差別、抑圧のこと。

例えば、日本語が苦手な外国人が日本で仕事に就けないというような社会的格差もこの Linguicism によるものです。カナダでも、昔はフランス語しか話せない人々が差別されていた歴史があります。

音声言語が優れていて手話言語が劣っているという言語差別もまた、Audism のひとつです。

特に、日本語と日本手話は文法も構造も全く別の言語です。第一言語が手話のろう者にとって、日本語は第二言語。聞こえないひとが音声言語(日本語)を学ぶのは、日本人が外国語を学ぶのと同じかそれ以上に難しいのです。

だから日本語が苦手なろう者がいてもおかしくないということを心の隅に留めておきましょう。

逆もまた然り。手話を使うからといって読解能力が劣っているとは限りません。むしろ手話が流暢なほど言語化能力が高く、日本語能力も高い人も沢山います。

もちろん私みたいにどちらも中途半端な人もいます。笑

聞こえない人同士でも

このような偏見は、聴者によるものだけではなく、聞こえない人同士の間でも起こります。

ろうや難聴の人たちの中には、ろう社会との関わりを持ちたがらない人や「ろう者より手話を使わない自分の方が優れている」と思っている人がたくさんいます。

これは誰のせいでもなく、育った環境や文化がそうさせているのでしょう。

‪恥ずかしながら私自身も20代の頃まで、日本語能力と聴力は無関係だと思っていたし、手話が言語だという主張もいまいちよく理解できませんでした。手話を学ぶときも、あくまでも聴覚を補助する支援ツールのような認識でした。

Audism に関する動画

Effects of Linguisticism and Audism on the Developing Deaf Person | Peter Hauser

いくつかの観点からAudism について解説している動画です。

他にもYouTube で「Audism」を検索すると体験談などの動画がたくさん出てきます。英語や ASL がわかる方は見てみてください。

有料ですが Audism Unvailed もおすすめです。大学でこの映像を観たのがきっかけでこの記事を書きました。

まとめ

私自身も社会に出てから「聴覚障害者にも色んな人がいる」「手話は言語」だということを認識してきたつもりですが、それでも時々 audism 思考が自分の中にまだ残っていることに気づかされます。

もっと理解が広がるといいですね。

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